HAMILTON(ハミルトン)について

THE AMERICAN WATCH


1892年、ハミルトン・ウォッチ・カンパニー、創立。

ハミルトンの登場は、人々に時代の救済を予感させた。その時、全米の時間帯はすでに今日と同様の4つの標準時間に統一。残された課題は、高性能時計の開発だった。
人々の予感は的中する。時を隔てることなく、ハミルトンは時代が求めていた懐中時計、“レイルウェイ・スペシャル”を発表。
このモデルが、鉄道時計として採用されたのを機に、アメリカは急速な発展の歴史を歩みはじめる。
19世紀から20世紀へ---。
新しい時代への息吹を感じながら、アメリカが世界をリードする大国へと邁進しはじめた時代。
“ハミルトン”もまた、「鉄道を支える正確な時計」との評判を背に、時計ブランドとしての地位を足早に確立していくのである。


 

 
Ventura

1957年、ハミルトンは世界初のエレクトリック・ウォッチ”ベンチュラ”を発表。
ちいさなシャツのボタンほどの電池がセットされたムーブメントを搭載、それまでのスプリング駆動式に比べて飛躍的に精度を向上させるとともに、腕時計の常識とは掛け離れたその斬新なフォルムにおいて、ベンチュラは時計史に革命的な足跡を残した。
 
Everest

’50年代、大国アメリカはその豊かさを背景に様々に夢をふくらませていた。その夢は一方では未知の自然や宇宙への挑戦へと結実し、さらに人々の夢を大きくしていった。1958年、ハミルトンはそうした時代を象徴するとともに、多くの挑戦者たちへの敬意を込めて一つのモデルを発表している。
宇宙探査船をモチーフにした斬新なフォルム、そしてエベレスト制覇への期待を込めて冠された「エベレスト」の名・・・。この復刻モデルにおいては、オリジナルモデルの風格はそのままに、文字盤には「エベレスト」をモチーフとした象徴的なデザインを施し、クロームメッキとブラックダイヤルの対比をエレガントに強調するなど、21世紀を視野に入れ未来的なニュアンスを加味。オリジナルモデルにさらなる美しさと輝きを与えている。新たなミレニアムを迎え、今、人々の夢はより大きく発展しようとしている。
かつて’50年代がそうであったように、人々の「未知への挑戦」への想いが膨らむ時代に、再び“エベレスト”は蘇ったのである。
 
Khaki

「冒険」と同義の名を冠したハミルトン“カーキ”。ミリタリー・ウォッチとして誕生したこのモデルは、時代を経て、今ではフィールド・ウォッチの代名詞となり、多くのアウトドアラーたちの貴重な時間を刻み続けている。
彼らが腕時計に求める機能はきわめて簡潔である。しかし、その水準は高い。自然環境はいつも穏やかであるとは限らない。
時として彼らにとって過酷である。
ハミルトン“カーキ”は、だから強靭である。だから軽量である。
彼らは、“カーキ”を愛してやまない。その理由に無駄な形容は一切ない。
“カーキ”がその機能、フォルムにおいてシンプルさを極めているの同様に・・・。

 
Khaki Basic

“カーキ”とはヒンズー語で「土」を意味する。19世紀中頃、当時パンジャブに駐屯していたイギリス軍中尉のハリー・ラムズデンは、伝統的な軍服が現地の気候・風土に適していなっかたため、天然繊維を植物染料で染め上げたパジャマのような身軽な軍服をつくり、熱さに苦しむ軍人たちを助けたという。
この軍服は“カーキ”と呼ばれ、以来この言葉は高度に機能的・実用的なものを指して使われている。
また一方で、ヘミングウェイがキューバで、ルーズベルトがケニアで、カーキ・カラーのスタイルで滞在していたことがきっかけとなって、“カーキ”は「冒険」のシンボル・カラーとしてもイメージされるようになった。
“カーキ・ベーシック”は、その名の通りカーキ・シリーズの原点といえるモデル。
視認性に優れ、頑丈であること、そして軽量であること---。冒険家が腕時計に求める条件を理想的にクリアするとともに、ケースには光の反射を抑えるサンドフィニッシュと呼ばれる表面処理が施されている。
“カーキ”シリーズの中で最もシンプルな“ベーシック”は、現在も大勢の冒険家たちに愛用されている、フィールド・ウォッチである。
 
Khaki Action                                                          
あくまでもフィールドウォッチの定番としてのカーキの系譜にこだわったシンプルでスタイリッシュなフォルムと、都市に暮らす人々の自然志向に強く応えるハードなスペックを纏ったカーキ・アクション。
このモデルには、衝撃から確実にリューズを守るプロテクション・レバーや、強靭な樹脂素材のコンポジットにより軽量化を 実現したステンレス・スチール製ブレスレット、あるいは、暗所でも十分な光量を 誇る力強く明瞭なインデックスと赤くマーキングされた秒針により高い視認性を確保するダイヤルなど、常にデザインと機能の両立を図ろうとするハミルトンならではの試みが随所に採用されている。
また、10気圧の防水性能、巻き上げ後、最大36時間連続作動するオートマチックムーブメントなど、充実の機能は現代人のあらゆるフィールドに対応する。
自然をこよなく愛し、自然との共生に努める現代人のために誕生したカーキ・アクション。このモデルは、彼らの豊かな感性とともにカーキの世界をさらに拡大していく。
 
 
Khaki Chrono

ハミルトンの歴史は、一方では20世紀の冒険家や科学者といったあらゆる挑戦者たちの歴史だったといってもいいだろう。その歴史は、20世紀初頭、アメリカ海軍が求めた、極めて高い精度のクロノグラフの開発に着手したことに始まる。
世界最高水準の航法を可能にするマリンクロノグラフの大量生産---当時、アメリカ国内の主要時計メーカーの中で、海軍の厳格な基準に応えることができたのはハミルトンだけだった。
その後、このマリンクロノグラフの評判は、アメリカだけでなく先進各国に及び、ロシアの海軍も相次いでハミルトンを採用したばかりか、科学研究や冒険といった分野においても高い評価を獲得し,幾多の挑戦者達の栄光の瞬間を刻むことにもなった。
「カーキ・クロノ」は、クロノグラフによってハミルトンが築きあげてきた信頼の歴史を21世紀に向けて途絶えることなく伝えていこうとするものである。36ミリ、39ミリ、そして42ミリの3つの外径サイズをもつこのシリーズは、すべてのモデルにサファイアクリスタルと5気圧防水を採用。さらに36ミリと42ミリのモデルには、最高級の25石オートマチック・ムーブメントを内蔵し、12時間計・30分計・60秒計を装備、39ミリモデルには30分計と60秒計に加え、1/10秒のストップウォッチ機能を搭載している。また、クロノダイバーは裏蓋、リューズ、プッシュボタンがすべてネジ込み式で本格的なマリンユースに対応する。
1世紀に及ぶ歴史に磨かれ、より機能と洗練を極めて登場した「カーキ・クロノ」。
このモデルは、新たな挑戦者たちとともに、ウォッチ・メーカーとしてのハミルトンの歴史に、貴重な1ページを加えることになるだろう。

 

アメリカの歴史とハミルトンの歩み

1892年 19世紀後半のアメリカ。鉄道時代の到来は産業の急速な発達をもたらす一方で,深刻な問題を抱えることを意味していた。当時のアメリカには、太陽の運行に基ずく50もの時間帯が存在し、これが原因で列車の運行は困難を極め、日常茶飯的に事故が多発していたのである。時間帯だけでない。時計そのものの精度にも問題があった。全米で時間帯を統一すること。高精度の時計を開発すること。解決すべき課題はシンプルだったが、時間を要する難題に思われた。
1892年、ハミルトン・ウォッチ・カンパニー、創立。ハミルトンの登場は,人々に時代の救済を予感させた。
1920年代
『狂騒の時代』とも『パーティーの時代』とも呼ばれた1920年代のアメリカ。
禁酒法下、潜り酒場が手入れの取締官と不屈の戦いを繰り広げ、
パーティ・ギヴァーたちが競って趣向を凝らした饗宴を開催する。そんな中、人が集まるところ必ず聞こえてきたのがジャズだった。ニューオリンズで産声をあげたジャズは、ニューヨーク・ハーレムで精錬され、音楽の巨人と化していく。
クラブでは、ファッツ・ウォラーをはじめとする強者がライバル・ミュージシャンを制さんと,魂の命ずるままに即興で鍵盤を乱打ちする。その一方でルイ・アームストロングは、新しいスイング・スタイルを確立。人々のジャズ熱は一層沸騰の度合いを増していく。男も女も、老いも若きも、酔い、歌い、踊った’20年代。
小粋さと猥雑さが入り混じったこの時代を舞台に、誰もが監督・主演した
自己演出の時代だった。舞台のタイトルはさしずめ『至福の時』-----。
1930年代
自動車王のクライスラーが、マンハッタンに世界一高いクライスラー・ビルを建てたのが’ 28年。翌29年、アメリカを大恐慌が襲う。が、30年代に入ると不況を吹き飛ばすかのように、マンハッタンは空前のビル建築時代を迎える。
エンパイアー・ステイト・ビル、ロックフェラー・センター・・・。機能的かつ洗練された独自のアール・デコ様式の建築群が、豪奢に摩天楼の空を飾る。一方で、「地上を走るクルーザー」と呼ばれる最高級車,キャディラックV−16や、大衆車として全米で人気を集めたポンティアックなど、カーデザインが時代のイメージ・リーダー的存在になる。
’30年代の中頃、銀幕の人気を二分していたクラーク・ゲーブルとゲイリー・クーパーが、2台のみ生産されたデューセンバーグSLのスペシャル・バージョンに1台ずつ乗っていたという。
苦難で幕を開けた’30年代を、不屈の精神で乗り切り、エレガントに昇華させていったアメリカの誇りと余裕を実感させるエピソードである。
1940年代
’40年代は、グレン・ミラー・ジャズの心地よい風とともに訪れた。
13歳の時、牛の乳搾りのアルバイトで貯めたお金で、はじめてトロンボーンを手にしてから音楽一筋に生きてきたミラーは、戦時下、慰安コンサート・ツアーの最中、軍用機でロンドンからパリへ向かう消息を絶つ。わずか40年の生涯であった。しかし彼の音楽は、人々の心に行き続け、今日もどこかでその優美なメロディーに身を委ね、恋を語り合う男女を包み込んでいる・・・。
一方、男の美学を体現したのが映画『カサブランカ』である。
テーマソングは“As Time Goes by”。「昨日?そんな昔のことは忘れた。明日?そんな先のことはわからない」-----ボギーはそう言って、男たちに「今」を生きることを教えた。いかなる時もダンディーであれ、と。
大戦後、帰還した男たちがイングリット・バーグマンに捧げた言葉は「君の瞳に乾杯」。豊かな時代の訪れを告げる合い言葉だった。
1950年代
理想、希望、夢。’50年代のアメリカは、すべてが輝いていた。ジェット時代、ロケット時代を迎え、誰もがひたすら大きく、派手なアメリカ・フルサイズ・カーに憧れ、のちに“ヴィンテージ・カー”の尊称を賜ることになる、スタイリッシュなアイテムたちが誕生した。モノだけではない。ヴィンテージ・ヒーロー&ヒロインが誕生したのもこの時代である。
エルビス・プレスリー、ジェームス・ディーン、マリリン・モンロー、ジョー・ディマジオ・・・。人々は、内側から滲み出る、人間らしい彼らの孤独や哀愁も一緒に、丸ごと愛した。限りなく自由で壮大なアメリカン・ドリームが、最も身近にあった’50年代。アメリカが、のちに“フィフティーズ”と回顧される、燦然たる新文明を創り上げた時代だった。

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